... だから2000年前にヘンリー・カイザーのYo Milesがあり、20世紀最後にTokyo Zawinul Bach ... 2020-06-29 14:44. 『Tokyo Blitz (Live at Akasaka Blitz, Tokyo 2001)』 00:00 - Burn Baby Burn 03:29 - A Life Less Ordinary 07:16 - Submission 10:51 - Shining Light 15:05 - Goldfinger 坪口 昌恭/Tokyo Zawinul Bach: Live In Tokyo (2001, Uchu Records)------------------------------------------------------------Radio-Acoustiqueがあんまり面白かったので、続き: 個人的な背景から書く。1980年代後半から憑きものが落ちたようにアヴァンギャルド系は聴かなくなり(最近、再び憑いたが)、1990年頃から2008年頃は仕事に没頭し、限られた「ジャズ」しか聴いていないし、新しい人はあまり聴かなかった。だから1950年代中頃以前に生まれた奏者が中心だったような気がする。だから1960年代以降に生まれた奏者はあまり聴けていない。この2つの条件に照らすと、坪口 昌恭、菊地成孔は完全にゾーンから外れていたし、五十嵐一生も聴けていない。また、その後も五十嵐一生はともかく、坪口 昌恭、菊地成孔は聴けていなくて、また活発な言説も全く読んでいない。何となく良く分からないクラブ系云々ということで、勝手に壁があったんpだろう。要は音だけ聴いた印象で、それ以外のコンテクストの流入はないということ。2020年にはじめて聴いた印象、ということ。 1970年代のマイルス・デイヴィスの音楽の偉大さについては語り尽くされていると思うので、ここでは語らない。その喪失感たるや、である。1980年代のマイルスは似て非なる存在。1970年代のマイルスの到達点をソフィスケイトして提示した菊地雅章も、結果的にはそこで力尽き、アコウスティックの世界に旋回し、復活するまで10年近く要している。途中のトライアルは痛々しくすらある。そんな喪失感。それは1990年代、マイルスの没後に漸次高まっていったような感覚はある。だから2000年前にヘンリー・カイザーのYo Milesがあり、20世紀最後にTokyo Zawinul Bachがったのだろう。(きっと、これらも語り尽くされているのだろうけど)そんな感覚で聴いていると、まず唯々マイルスから菊地までの取り組みへのリスペクト、そして寸分でも進化させようとする意思を感じさせる。下地の律動の複雑さや、テクノロジーの援用が語る情報よりも、トランペットが奏でるマイルスの影や、キーボードが孕むザヴィヌルの影が、思いの外そういった印象を強く押し出している。同時期のラズウェルのマイルス・リミックとの音響的類似性には驚く。(ラズウェルのRated-xリミックスが好きなのだけど、それと同じ感覚で聴いている。)企みが巧くいったか、どうか、ではない。あの時期のマイルスや菊地雅章の音楽への様々な角度からのリスペクトが、このアルバム自体の耐久性を著しく高め、ほぼ20年後の今も違和感なく聴くことできる大きな要因。あの喪失感は決して埋まらないのだけど、しかし、このような音場があること、が嬉しい。早く聴けばよかった。 平成29年9月29日 平成29年11月19日(日)に「tokyoみみカレッジ」を開催します。 平成29年9月29日 平成29年10月13日(金)に「第7回障害者への理解促進等の条例制定検討部会」を開催します。 平成29年9月 5日 平成29年度障害者週間ポスターの「標語」を募集します。 音盤と本の話を書きます。引用をストックしました引用するにはまずログインしてください引用をストックできませんでした。再度お試しください限定公開記事のため引用できません。 ョンスキップです。本文のエリアです。サイドメニューのエリアです。 Half Moon(Masayasu Tzboguchi) 10:37 2. 現在のページ: トップページ > 平成29年分 > 千葉県 > 路線価図 > 佐倉市 (町丁名索引) > 佐倉市 (索引図) 佐倉市 (路線価図・索引図) ご利用方法 坪口 昌恭/Tokyo Zawinul Bach: Live In Tokyo (2001, Uchu Records) 1.