美しい写真のあるnoteは、記事に関係なく写真としてマガジンに残させていただいている事が多いので(^_^;) 申し訳ありません。 昨年の夏、……というわけで、大変遅くなりましたが、後半の5選を含めた80年代後半~ゼロ年代生まれの人たちは基本的に、GTOのオープニングやらポカリのCMやらコナンの映画やら、好むと好まざるとに関わらずどこかしらでポルノグラフィティの楽曲に触れて育ってきたはずです。最近あんまり聴いてないな、という人も、なんなら昨日アミューズフェス行ってきたよという人にとっても、この記事がポルノの魅力を再確認するきっかけになってくれたらこんなに嬉しいことはありません。筆者は10数年ポルノグラフィティを追いかけてきましたが、あくまでいちファンのライターです。独断と偏見が大いに含まれていることをご了承の上、お読みいただけたら、と思います。◇◇◇最初からそれかよ、と思った方もいるでしょう。「ポルノグラフィティの歌詞で印象的なフレーズを教えてください」というアンケートを1億人にとったら、おそらくこれが1位になるんじゃなかろうか。初期のポルノのほとんどの曲の歌詞を書いているギタリストの新藤晴一は、複数のインタビューの中でアゲハ蝶の詞を「書き直したい」と話している。たしかに、“憂いを帯びたブルー”“夜の果てに似ている漆黒の羽”なんてフレーズは、いまの彼の口からは間違いなく出てこない、青臭くて過剰な表現だ。けれど、私はやっぱり『アゲハ蝶』にはこの歌詞しかない、この歌詞以外は考えられないと思ってしまう。ポルノの歌詞は言葉数が多いのが特徴だけれど、『アゲハ蝶』も例外ではない。冒頭に挙げた“冷たい水をください”のフレーズは曲の最後、転調後に表れる。ブレスなしで畳みかけるようなボーカル・岡野昭仁の歌い方と相まって、聴いているこちらまで息が苦しくなるみたいだ。 歌人の佐藤真由美さんの短歌に、というのがある。用法的には『アゲハ蝶』とこの短歌はほぼ同じで、日常的な要求のあとに突如「え?」と思うような要求を連ねるというもの。『アゲハ蝶』では、“荒野”“夏の夜”“旅人”といった渇いたイメージの連続のあとに、“冷たい水”が突如乞われる。ポルノの最初のベストアルバムである『BEST RED'S』(赤リンゴ盤)にも収録されている、言わずと知れたアッパーチューンオリジナルは2000年発売のファーストアルバムに収録されている。当時のポルノはまだまだとんがっていて……出だしからこれなんだからすごいです。キャッチー、を辞書で引いたら出てきそうなリリックだ。当時のポルノの歌詞には「おいヒットソング、愛をなめてんじゃねーよ」的フレーズが頻発する。同じく2000年発売のセカンドシングル『ヒトリノ夜』も、という強烈な1行で始まる。上に挙げた『Century Lovers』の歌詞は、すべてがパンチラインのようなこの曲の歌詞の中でも特にキザで格好いい。ポルノの(特に初期の)詞世界においては「チープな愛」と「本当の愛」はまったくの別物で、だからこそ「君」だけは、シングルポルノのラブソングを語る上で欠かせない要素のひとつに、「自己犠牲」がある。……など。ポルノが歌う愛はいつでも、盲目的なまでに献身的で力強い。「あなたのためなら命も捨てる」と言わんばかりの一心不乱さは、部分的に切りとって見るとやや演歌チックなのだけれど、そのあとに続く歌詞がむしろすごくポルノらしいのだ。 愛する人のために自分の身を捧げる覚悟があるなら、本当は“僕の想いを すくい上げて心の隅において”とは言っちゃいけない。けれど、ポルノの詞の主人公は、「あなた」に愛される(かもしれない)対象である「自分」も、完全には捨てきれないのだ。「10選」に入れたフレーズは、……話はすこし飛ぶけれど、フランスの詩人・シュペルヴィエルに高貴で美しい詩だ。“草を君の夢の外に生えさせたまえ”なんてフレーズにはくらくらしてしまう。自然や芸術など、なにか圧倒的なものを前にしたときに、それを無理に言葉にしようとするのは野暮な行為だ。だからこそ『パレット』の詞は、サビの歌詞は、言うなればやさしい哲学だ。曲の終わり、アウトロでは「ラララ…」という晴れやかなスキャットが続く。自分の人生の主役は自分でしかありえない、というのは、新藤晴一が書く歌詞の一貫したテーマだ。……アグレッシブだけれど、晴一は歌詞の中で「キミの未来は明るいよ」と無責任に歌いあげることは絶対にしない。彼の詞はただ、「いま、この世界」から逃げることを力強く容認する。上に挙げた『A New Day』の歌詞もそうだし、応援歌には、「前に進む」ことを歌うものと、「過去を切り離す」ことを歌うもののふたつがあるとして、ポルノの(特に晴一の)歌詞はいつでも後者だ。だからこそ美しいと思ってしまう。ここにきて、初めてボーカル・岡野昭仁作詞の歌詞を挙げます(すみません)。晴一の歌詞、特にラブソングには「こんなに愛しているのに」というナルシシズムが感じられるのに対して、昭仁の歌詞の「愛」はもうすこし等身大だ。特にサビが白眉だ。“愛とか恋”について、ポルノグラフィティ、というバンド名に恥じず(その由来は決してエッチなものではないけれど)、ポルノは官能的な歌詞も巧い。ポルノにはエロティックな歌詞も少なくない。けれど、情事を歌っても、妖艶なのに決して下品にならないのが凄いところ。たとえば、『まほろば○△』の2番には、 などと、かなりダイレクトに情事を描写している歌詞が出てくる(“ベッドの下”、“僕の上”、“淫ら落ちる”と視点が上下に次々と移動するのもとても鮮やか)。……にも関わらず、いやらしい生々しさを感じないのは、ベッドシーンにおいて必要以上に具体的な、「エロい」言葉を意図して使っていないからだ。“抱く”、“抱かれる”に代表されるような、ダイレクトな「エロい」語彙自体がポルノの詞世界にないのか、と言うと、実はそうではない。たとえば『ヒトリノ夜』ではそれでも、ベッドの上での行為そのものを描くときは、スッと一歩「引いて」描写する。“ふたりで夜に漕ぎ出しても 夜明けの頃にはひとり置き去り”なんていう風に。『まほろば○△』は特に、新藤晴一という作詞家の手腕が余すところなく発揮されていて、惚れ惚れとしてしまう1曲だ。晴一の歌詞にはしばしば“男だから”という理由で格好つける主人公が登場する。古臭いと分かっていて、そんな自分に酔っている。本当にずるい。嫌えないじゃないか、ばかにしやがって。好きな人に好きと言うだけで何故こんなにも大変なのだろう……。シングル名前のないもの(時には概念)に「名前をつける」というのも、ポルノの歌詞の特徴的なモチーフだ。晴一はかつて、2006年発表のエッセイ『自宅にて』の中で、歌詞や文章を書く理由について、こんな風に綴っている。まるで恋というどこまでもエゴイスティックな感情を、時に離人症のひとのように、自分とは切り離された出来事として描写してしまう。それは「恋」が、あまりに痛みを伴う辛いものであるからに他ならない。その結果、聞き手は「切ない」「悲しい」と主人公に言われるよりもずっと切実なものとして、「恋心」の独白に耳を傾けてしまう。「10選」に入れた『Love too,Death too』のフレーズは、花や星、鳥のひとつひとつに「名前がある」、つまりそこに存在していることを説きながら、“この曲について、歌詞については言いたいことがたくさんあるのだけれど、言葉を尽くそうとすればするほど嫌になってくる。そのくらい、ポルノの歌詞における「時間」の概念については、おそらく『ハネウマライダー』のこの部分が分かりやすい。つまり、「僕」の時間と、「君と僕」の時間は別物なのだ。その上で、上に挙げた『愛が呼ぶほうへ』の歌詞の中で印象的な“永遠”というフレーズが出てくる歌詞を、他にも探してみる。『グラヴィティ』も『Mugen』も『サウダージ』も一見、“永遠”を否定しているかのようだ。けれど、“一秒と千年の間に違いはなくて”という表現からも分かるように、むしろこれらの詞は“一秒”、つまり愛や恋が見せる……というのは、小沢健二の「愛」は多くの場合、恒久的なものではなく“一瞬の泡”のようなものだ。けれど、その一瞬は“誰か”、たとえば“君”といることで初めて、強く光輝く。そして“千年”の時さえ感じさせるものに姿を変える。そんな「愛」を、ひと言で美しい。もうこれ以上言えることなんてなにもないじゃないか。私たちにできるのは、ただポカンと口を開けて、『愛が呼ぶほうへ』の天国的なストリングスに耳を澄ますことだけだ。……余談だけれど私は全世界に存在する楽曲の中で『愛が呼ぶほうへ』が最も好きなので、死んだらこの曲を流してください、といまのうちに書き記しておきます。◇◇◇というわけで、筆者の考える「ポルノグラフィティの美しい歌詞10選」をお届けしました。つい新藤晴一さん中心の歌詞論になってしまいましたが(ごめんなさい)、ほんとうは岡野さんの歌詞についてももっともっと語りたいことがたくさんあります。それはまたいずれ文章にすると思います。『フィルムズ』の1番と2番の使いかたの完璧さだとか、『素敵すぎてしまった』はノーベル歌詞タイトル賞を受賞すべきだとか、あらゆる余談もそのときに譲ります。独断と偏見にまみれた長文をここまで読んでくださった方には、感謝しかありません。ありがとうございました。 サポートほんとうにありがたいです。本を買います。勝手ながら、よもぎみどりがまた読みたいと思ったnoteをマガジンにさせて頂きました。