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投稿者:金子建志 はじめてのクラシック、おすすめのクラシックMenuSidebarPrevNextSearch目次激しく咆哮する金管楽器、弦楽器がかき鳴らす旋律の間を木管楽器が吹きすさぶ嵐のように駆け巡ります。まずは第4楽章をダイジェストで聴いてみましょう。第2次世界大戦中の1941年6月、ナチス率いるドイツ軍は突如として不可侵条約を結んでいたソ連に侵攻し、両国は戦争状態に突入します。同年9月、ソ連第2の都市であったこのナチス・ドイツ軍によるレニングラード包囲は1944年1月まで900日近く続き、飢餓や砲爆撃によって、ソ連政府の発表によれば67万人、一説によれば100万人以上の市民が死亡すると言う甚大な被害を出すこととなります。当時、レニングラード音楽院教授の職にあったショスタコーヴィチがこうした緊迫した状況にあって作曲されたのが、今回ご紹介する交響曲第7番です。作品は7月頃から作曲され10月にはレニングラードを脱出し、疎開先のこの作品はショスタコーヴィチ自身がソ連共産党の機関紙『プラウダ』で「各楽章には当初当時の社会主義体制下のソ連においてはそれが故にショスタコーヴィチ自身が真に戦争の惨禍と闘争、勝利と言ったテーマに創作意欲を感じて作曲したのか、一部に批判されているようにソ連のプロパガンダ的な役割を担って作曲したものか、さらにはナチスのみならずソ連に対する体制批判の意味も込めて作曲したものなのか、真意はよくわかりません。ただショスタコーヴィチ自身がこの時期に軍隊や義勇軍への入隊を志願していることを考えると愛国の高揚した気持ちが創作に深く関わっているようにも思います。いずれにしてもショスタコーヴィチの交響曲の中で最も長大で壮大なこの作品が、戦争の惨禍の中で作曲され、内容的にも戦争と平和、祖国、闘争と勝利、これらのテーマと深い関連を持った作品であることは間違いないようです。作品そのものの最後は勝利の凱歌で飾っていますが、初演された1942年にはレニングラードは激戦の最中にあり、勝敗の行方も定かではない状況でした。ショスタコーヴィチがこの作品に込めた強い想いが溢れるかのようなショスタコーヴィチを代表する交響曲です。クラシック初心者の方には長く感じされるかも知れませんので楽章ごとに聴いてみるのも良いかも知れませんね。第1楽章全体が平和な街を突如襲ってきた戦争の苛酷な姿を描写しています。冒頭の力強い第1主題は「人間の主題」と呼ばれていて、その後に続く弦楽器による穏やかな第2主題は戦争が起こる前の平和な生活を描写しています。やがて2小節単位で同じリズムを刻む小太鼓に乗って「戦争の主題」が何度も繰り返されながら高揚していきます。この部分はひと昔前にアーノルド・シュワルツェネッガーが出演した『アリナミンV』のテレビCMで用いられたので、ご記憶の方もいらっしゃるかと思います。また反復される小太鼓のリズムに乗りながら徐々に大きくなっていく仕掛けにラヴェルの「ボレロ」の影響も指摘されます。この「戦争の主題」は前半こそ少々コミカルな雰囲気も漂わせていますが、徐々に大きくなるにつれて力強さが加わり、ついには破壊的な凶暴性も感じられるような戦争の音楽へと展開していきます。この劇的でドラマティックな激しい戦場の描写が静まるとファゴットによる長大なソロが奏でられます。これは戦争によって愛する家族を失った悲しみの音楽であり、嘆きのレクイエムにも聴こえます。激しい戦闘に傷つき、疲れ果てたレニングラード市民が足を引きずりながら歩いているようにも感じます。最後は「人間の主題」が静かに流れた後、継続する戦争を象徴するように再び「戦争の主題」が再び現れ、静かに第1楽章を終えます。ここでは再び戦争が起こる前の平和で素朴な街の姿が描かれています。オーボエからイングリッシュ・ホルンへと続く穏やかな旋律は牧歌的でのどかなようにも感じますが、どこか悲哀を感じさせる雰囲気もあります。中間部からはやや激しい音楽が展開されますが、この楽章でのテーマは「回想」にあるようで、戦争の描写と言うわけではないようです。フルートの刻む細かい音型に乗ってバスクラリネットが不気味な旋律を奏で、最後は静かに第2楽章を終えます。教会の鐘を思わせるような響きの讃美歌風の主題に続き、弦楽器がドラマティックな旋律を奏でます。「広大な祖国」と言う副題を付けたこともある第3楽章は生活の歓喜、自然にたいする讃嘆など祖国に対する愛情が表現されています。フルートのソロによる美しい旋律は風に乗って運ばれる調べのようでもあり、祈りの音楽のようにも聴こえます。中間部では付点のリズムが印象的な激しい旋律が演奏され、金管楽器を加えながら疾駆するかのようなスピード感のある音楽が展開されていきます。再び弦楽器による美しく豊かな旋律が奏でられる中、切れ目なく第4楽章へと続いていきます。弦楽器が静かに奏でる冒頭の旋律はまだ前楽章の余韻に満ちていますが、すぐに戦闘の再開を予感させるような激しい動きを伴った旋律が支配していきます。戦闘が激化していくかのように様々なモチーフが交差し、金管楽器が刻む細かい音型は速射砲のようにも感じられ、その間を弦楽器と木管楽器が嵐のように駆け抜けていきます。戦場の描写がクライマックスを迎えると重々しい3拍子で深く沈み込むような音楽が展開されます。それは戦争の犠牲になった人々の鎮魂の音楽のようでもあり、悲哀に満ちています。最後は再び劇的に高揚した後、第1楽章冒頭の「人間の主題」が高らかに奏され熱狂的に終曲します。1988年、バーンスタインが亡くなる2年前の70歳の時に収録された作品ですが、晩年の録音とは思えない生気に満ち溢れた圧倒的な演奏です。シカゴ響と言えば強力なブラス・セクションで有名ですが、ここでもその圧倒的な響きは遺憾なく発揮され筋肉質で骨太の響きが作品の魅力を一層際立てています。まずはダイジェスト動画から! マーラーの交響曲はどれも大規模な編成のオーケストラ ...まずはダイジェストで! 弦楽器による静かな導入に続き、急に生気がみなぎるかのよう ...まずはダイジェストで聴いてみよう! オーケストラがフィナーレの開幕を爆発的に告げ ...第3楽章をダイジェストで! もの悲しく哀愁を帯びた旋律をホルンが奏でるとオーボエ ...まずはダイジェストで! テレビドラマ「のだめカンタービレ」のオープニング曲として ...ようこそお越しくださいました。「気軽にクラシック!」管理人のpiccoloです。当サイトでは「これからクラシック音楽を楽しんでみたい。」と言うクラシック初心者の方を対象に「おすすめのクラシック」「はじめてのクラシック」を管理人の感想を交えながら紹介しています。Copyright © WordPress Luxeritas Theme is provided by " 交響曲第7番ハ長調作品60『レニングラード』は旧ソ連の作曲家、ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906-1975)が1941年に作曲した交響曲です。 第2次世界大戦中の1941年6月、ナチス率いるドイツ軍は突如として不可侵条約を結んでいたソ連に侵攻し、両国は戦争状態に突入します。 主題⑤自体がパントマイム風で、芸人的な冷やかしを含んでい … 2 / 7. 交響曲第1番ヘ短調 Op.10 (1925) 交響曲第2番ロ長調 Op.14『十月革命に捧ぐ』 (1927)----マリインスキー歌劇場合唱団 ピアノ協奏曲第2番ヘ長調 Op.102 (1957)----デニス・マツーエフ 交響曲第15番イ長調 Op.141 (1971) 収録時期:2013年1月7日 交響曲第4番ハ短調 Op.43 (1936) ある雑誌でショスタコーヴィチの交響曲のスコア(オーケストラの譜面)売上ランキングを開催したということです。交響曲は、第15番までありますが、上位5位までを挙げると以下のようになります。 1.第5番 ニ短調 作品47 (1937年)2.第7番 ハ長調 作品60 (1941年)3.第9番 変ホ長調 作品70 (1945年)4.第10番 ホ短調 作品93 (1953年)5.第11番 ト短調 作品103 (1957年) 全体的に暗い雰囲気の曲が人気がなく、ダイナミックで躍動感がある曲が人気となっていると考えられます。初めてショスタ … ショスタコーヴィチ交響曲ベスト8!! ショスタコーヴィチの交響曲にも、長く惹かれ続けている。とある解説によると、ショスタコーヴィチはモーツァルト型の「天才」であり、一度聴いた音楽をすぐに暗譜してピアノで弾けたらしい。 タグ: 千葉フィルハーモニー管弦楽団 - ©2012-18 Chiba Philharmonic Orchestra, All rights reserved. 主題⑤自体がパントマイム風で、芸人的な冷やかしを含んでいる。中間部⑤aは、R.シュトラウスの交響詩〈ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯〉で、ティルが権威を笑い飛ばして逃げる去る場面⑤a’や、ナチス政権下のヨーロッパで大ヒットした〈メリー・ウィドウ〉で、未亡人の恋人ダニロが、パリのダンスホールで遊ぼうと歌う《マキシムへ行こう》⑤a”のパロディ(R.シュトラウスはナチスによってドイツ帝国の音楽総監督に祭り上げられていたし、〈メリー・ウィドウ〉はヒトラーのお気に入りの喜歌劇だった)。〈レニングラード〉の米国初演をラジオで聴いたバルトークが、これに逸早く気付き、自らの〈管弦楽のための協奏曲〉のⅣ楽章に二重のパロディを仕組み、辛辣に笑いとばしたことでも知られている。作曲時、ショスタコーヴィチは勝つか負けるか知る由もない。対岸の火事のように始まったヒトラーの侵略が、いつのまにかソ連にも矛先を向け、気付いたら包囲されていた、という状況から筆を進めるしか無かったのだが、仮に12変奏まで書いた時点で戦死していたなら、『危急の時に、こんなに陽気な馬鹿騒ぎの曲を書いていたとは』と政権から非難され、歴史から抹消されたとしてもおかしくは無かったはずだ。早くから劇場音楽の現場にピアニストとしても関わってきたショスタコーヴィチは、チャップリン的なコミカルな笑いでも達人の域に達しており、聴き手が原型が〈ボレロ〉だということを直ぐに気付くことを念頭に置いて、ラヴェルがやらなかった刺を含んだ隠し業や、太鼓持ち的な芸を山ほど試みている。主題⑤をパーツに分けて、フレーズ毎にオーボエ→ファゴットで繰り返させる第4変奏は宴会の余興のレベルで、『突っ込み』と『惚け』が、同じ言葉をまぜっ返す漫才的やりとりを延々と繰り返す。伴奏も、この“おうむ返し”が始まる第4変奏の直前から、ボードビル的“冷やかし”⑥aに由来する⑥bをお囃子的に繰り返し始める。以後、この⑥bが太鼓持ち的に場を取り仕切り、宴会的な場を煽り立てる。この長大な登り坂で、小太鼓が2→3人に増強されるのも見逃せないポイント。リズムを合わせるためには奏者を一ヶ所に纏めるのが楽なのだが、今回は、ステージの離れた三ヶ所から叩いてもらうことにした。これによってショスタコーヴィチが増員ポイントに指定した個所の意義が鮮明になるだけでなく、ホール空間の3方向からの小太鼓は、機関銃の連射さながらの恐怖を体感させてくれるだろう。小太鼓が二重連で牽引していく最後の12変奏で、ショスタコーヴィチはリズム主題④に大太鼓を重ねる。“速いビートを、大小の太鼓でそのまま同時打ちさせる”という用法自体が、実は、実験的。オーケストレーションを機械工学的に組み立てるラヴェルが添削したら、真っ先に朱×で掻き消すだろう。駆逐艦の船団に、突然「大和」が加わって並走し始め、機関砲並のとんでもない連射スピードで主砲を打ち続けるようなものなのだから。この小太鼓の二重連に大太鼓が加わった12変奏を最後に、曲は短調の後半部に突入。13変奏から小太鼓が三重連になり、陽気な宴会は一転、悲惨な戦場と化す。ここになって、聴き手は〈ボレロ〉の二番煎じを思わせる小太鼓の連打が、時計ではなく、戦争の時限装置だったことに気付くという仕組み。12変奏だけ連打に参加する大太鼓は、それを警告的に刻印する空襲警報に近い役割を担っているのだ。