今回は米津玄師さんの人気曲「 ノリの良い曲調と、MVのダンスがみ呂奥的なこの楽曲ですが、歌詞には一体どんな意味が込められているのでしょうか?Contents「LOSER」は、2016年9月28日に両A面シングルとしてリリースされた楽曲で、アップテンポかつ、ノリの良いナンバー。 とにかくかっこよくて、MVで踊る米津玄師さんのダンスレベルの高さにも思わず目を惹かれてしまいますね。 ちなみに、MVの振付を担当されたのは、かの有名なシルク・ド・ソレイユや、Siaの「アライヴ」で土屋太鳳さんが踊るダンスの振付も担当された しかも、そんな経歴を持つ辻本さんが、なんと米津さんのダンスを絶賛しているんだそうです。指先の繊細さと長い手足を活かしたダンスに「惚れ惚れするほど美しい」と、辻本さんがコメントもしています。 裏話ですが、米津さんはこの撮影のために2、3週間毎日レッスンを受けていて、激しい運動をするのは中学生ぶりだったらしく地獄の日々だったそうです。(笑) ただ、かっこいい映像を撮るために妥協はしない米津さんだからこそ、納得するまで諦めなかったそうで、撮影の最終段階で議論が白熱していたとか。 実際、ダンスの種類としては型にはまらないようなものなのですが、ジャンル的にはPOPやアニメーション、一部ブレイクのステップなどが取り入れられています。 特に、足を滑らせるムーンウォークの類のあの振りや、途中で自分の身体を制御できなくなるような勢いに押されたような振りは前衛的で、とても数週間で得た技術とは思えません。 曲もすごくて、ダンスもすごい・・・どうなってるんだ米津玄師…。ちょっと熱くなりすぎましたが、ここからは「Loser」の歌詞の意味について考察していきたいと思います。 ちなみにこの曲、ノリの良いテンポとダンスの魅力が光る一方で、歌詞の意味が難解で良くわからないと言う声も聞きます。 そんな難解な歌詞も読み解きつつ、意味について掘り下げていきたいと思います。いつもどおりの通り独り 教室からはじまるこのシーンでこの歌詞を聴くと、子供時代を思い起こします。いつもと同じ一人きりの帰り道。どこかに行きたいのにどこにもいけない。変えたいのに変えられない苦しみ。 米津玄師さん自身うつ病や一部障害を抱えていたことがありいつでも僕らはこんな風に 毎日変わらないこんな夜に飽き飽きするも、変えることができない苦しみ。変えるには、逃げてしまえばいい。明日へ逃げてしまえばいい。 目を閉じて暗闇に溶けてしまえば、明日は自然と踊りくるのだから。とにかく逃げるために、ベッドで今日にさよならを告げるのです。歩き回ってやっとついた四半世紀の結果出来た 米津玄師さんの人生を想像させます。 過去の辛い経験を乗り越えて、歌手として道を歩んできてやっとここまで辿り着いた。ファンもできて居場所もできて評価もされて、自分の道を定めることができた。 他人から見ればうらやまれるような成功を手にした立場であるはずなのに、なぜか疑問を抱きます。  居場所が用意されている恵まれた状況を捨てたくなる、音楽をやめたくなる、全て捨てて遠くに行きたくなる・・・時にはそんなことも考えると言う米津玄師さん。今に満足することができないのは、過去の経験があるからかもしれません。 どこまでいってもあの恐怖が迫り来るかもしれない。また逃げたくなるかもしれない。何が正解なのか、どうすれば自分に疑問を持たずに自信を溢れることができるのか・・・ 当時米津玄師さんは25歳だったこともあり、自身のことを示しているようです。 青い顔のスーパースターはこの後の歌詞であきらかになりますが、いわゆる 自分にも、そんな反逆者とも似た精神がどこかに残っていると歌う米津玄師さん。喰われぬように、どう自分を動かすか、日々戦っているのかもしれません。アイムアルーザー どうせだったらアイムアルーザー ずっと前から聞こえてた メロディーがぐっと変わり、キャッチーな音学へ変貌するこの部分。繰り返される「アイアムルーザー」と言う歌詞は、米津玄師さん自身の心の声のようです。 どこまでいっても自信など無い、自己肯定感の低さが自分をルーザーと呼ぶ意味なのでしょう。ただ、自分には聞こえていたのです。心のなかには伝えたいものがあることを。 子供時代に言いたかったことがここの目的語なのかもしれません。ずっと、溢れては心の内に秘めていた想いを、たとえ負け犬の遠吠えに思われたっていいから もう言ってやろうぜ。変えてやろうぜ。 そんな、彼自身を変えるような強い意志を感じるサビです。ああだのこうだの知ったもんか 世間の声が聞こえてくる様です。世間は賛否両論。彼の楽曲についても良くも悪くも様々な意見が飛び交って来ました。 彼自信を楽曲で展開する、と言うことは、ある意味彼自信を晒すことでもあります。心に積もった塵もあるが、一歩引いた世界から見ればそんなものちっぽけなものです。 何万本売れたとか、そう言うことに重きをおいていない、イアンもカートも昔の人よ 1990年代にロック界で名を残し、2人とも20代で若くして亡くなりました。 死の直前には英チャート6位を記録しますが、精神状態がかなり不安定になっており普段は落ち着いているにも関わらず突然激しい口調になったりしていました。  その後も思い通りの作曲ができず、うつ病、薬物依存に苦しみ、最後には自殺でこの世を去りました。 やはりどこか米津玄師さんに重なる部分が見受けられますね。彼らは過去の人。今賛否両論しても意味がない。意味があるのは、ここから立ち上がるための教訓にすることだけだ。 この対象は、イアンとカートのことを言っているのでしょうか?それだけでは無い様な気がします。どこか、踊る阿呆に見る阿呆 この部分は、ラップではありますが「米津さんらしい」歌詞とメロディになっています。「踊る阿呆に見る阿呆」「我らそれを端からわらう阿呆」大衆受けする音楽問題。ありますよね。 ミュージシャンとはきっといつの時代も、受けるか受けないか、作りたいか作りたくないかその狭間でひしめき合っているものだと思うのです。 作られた楽曲で踊り狂い好きに楽しむ大衆と、それを端から笑うのも阿呆だと。提供側である自分たちのことを言っているのかもしれません。結局そんな意志のひしめき合いは自意識の過剰が招いているのではないか。そのせいで心をすり減らしたあとは、結局エゴでファイナライズするのです。 お腹をすかせた1匹の狐が木の上になるよく実った葡萄を見つけて、必死でジャンプするもどうしても届かなかった時「 自分のものにしたくてもどうしても叶わないとき、人はその対象を価値のないものとして見直して、心の平安を保つと言う話です。この比喩を使うあたり、流石のチョイスですね・・・。 膝抱えてもなんもねえ 抱え込んで塞ぎ込んでしまっても、「米津玄師さんのことであるのは間違い無いでしょう。 小さな悩みに囚われたり、評価を気にして一喜一憂しているうちに人生なんてフワッと消えちゃえる。その繰り返しである。と謳っています。少し表現に前向きさが出てきています。愛されたいならそう言おうぜ 雰囲気がガラッと変わって前向きな言葉が使われていることに驚きです。 今までの米津玄師さんであればこんな言葉を使ったでしょうか。過去の米津さんを考えると、以前の彼からは浮かんでこない歌詞だったでしょう。何か、変わらなくてはならない。このままではいけない、と言う強い意志を感じます。 ここで出てくる「 特にああわかってるって やはり、米津さんらしいです。前向きな歌詞を歌った後で、これです。「ちょっとまった。本当に大丈夫なのか?」と。暗闇は心の何処かにあるものです。 心のストッパーは自分を守るために影に隠れて出番を待ち構えています。しかし、ここでは更に強く言い返します。 わかっている。そんなことはわかっているけれど、知った上で、変わりたいんだ。変わる必要があるんだ、と。耳をすませ遠くで今いつかは出会えるはずの 心に隠していた気持ちや衝動を、きちんと噛み砕いて感じようとしているそんな雰囲気を感じるメロディーと歌詞です。 遠くから少しずつ聞こえる様になった音を、気持ちを、本性を、逃すな、と。 ずっと探している彼の人生、音楽における本質はきっとどこかで出会えるはず。一度見つけたら逃すな!といった覚悟が感じられます。アイムアルーザー なんもないなら 負け犬なんだから、これ以上どうなったっていいだろう、と言う歌詞からサビが始まります。何も行動しなければ、いまにさよならだよ、と。 この歌詞ですが、歴史上の人物十返舎一九の「行動を起こさずうだうだしていると、線香の煙とともに灰になってしまうよ」と言う意味だそうです。 「ロスタイムのそのまた奥へ行け」ロスタイムとはサッカーなどのスポーツの延長戦のことですが、ここでは人生のロスタイムの様に聞こえますね。 何もせずただ願うだけのLOSERでいたら、人生のロスタイムの先に行ってしまう。そう警告しているかの様です。愛されたいならそう言おうぜここいらでひとつ踊ってみようぜ 思っているだけじゃ伝わらない。感じてることがあるなら声に出さないと意味がない。この声が聞こえてるなら返事をしてくれ! 過去の米津さんを打ち勝とうとしている歌詞が多くありましたが、ここでは踊ってみようぜ、転がっていこうぜ、声出していこうぜ、と複数人に声をかけているかの様な歌詞になっています。 自分の音楽を聴いている人たちは、きっと自分に近い感覚を持っているだろうし同じような人生を歩んできたかもしれない。孤独に泣く夜もあるけれど、打ち勝っていこう、一人ではないのだから。そんな風に勇気付けられているようです。 そして、ラスサビへ。 ここまで「LOSER」の歌詞を考察して来ましたが、いかがでしたでしょうか?やはり米津玄師さん自身の 過去の苦しみ、乗り越えた自分、輝かしい現在の自分、見え隠れする逃げたい自分や自己肯定感の低さ・・。 さて、ラスサビが終わったあとの米津玄師さんの表情。気づきましたでしょうか? MV中一度も見せなかった、口角を少し上げた、ホッとした方なニヤリとしたような表情をしています。この曲の歌詞にも出てくるように、LOSER、である自分を認めて変わっていく・・・ある意味割り切って、 彼は今後、どんな楽曲をどんな意味を込めて作っていくのか、どんな人生を描いていくのか・・・米津玄師さんのこれからの音楽を、そんな視点から見つめてみるのもいいかもしれません。FOLLOW©Copyright2020

「歌ネット」と連携した、新しい大人向けの音楽情報サイト「MUSIC GUIDE」がオープン! 演歌、歌謡曲、フォーク、ニューミュージックなどは勿論、洋楽ポップスやロック、イージーリスニング、ジャズ、フュージョンまで、大人世代向けの音楽情報に特化! オススメの若手歌手100人のデータベース「注目歌手カタログ」や、毎週水曜更新の「なつ歌詞」コラムも楽しい! 今スグ、チェック! 米津玄師の「loser」歌詞ページです。作詞:米津玄師,作曲:米津玄師。(歌いだし)いつもどおりの通り独り 歌ネットは無料の歌詞検索サービスです。 歌詞解説 米津玄師. いつもどおりの通り独り こんな日々はもはや懲り懲り歩き回ってやっとついた ここはどうだ楽園か?今となっちゃもうわからないアイムアルーザー どうせだったら遠吠えだっていいだろうああだのこうだの知ったもんか 幸先の空は悪天候踊る阿呆に見る阿呆 我らそれを端から笑う阿呆愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね耳をすませ遠くまで今 響きだした音を逃がすな 呼吸を整えてアイムアルーザー なんもないならどうなったっていいだろうアイムアルーザー どうせだったら遠吠えだっていいだろう米津玄師『LOSER』は彼の5枚目のシングル(両A面【LOSER/ナンバーナイン】)です。歌詞には隠喩が多く、その意味に思わず考え込んでしまいますが、ゆっくりと聴きこみ、今の自分と重ね合わせたり、歌詞に登場する「イアン」「カート」について知っていけば、この楽曲がより深くしみ込んできます。 目次無関心と反発、恐怖との共存、生と死に対する無力感と思うままに体を動かしたくなるような衝動。いつもどおりの通り独り こんな日々はもはや懲り懲りいつもどおり…皆さんのいつもどおりの日々とはどんなものでしょうか。絶望感や喪失感とも違う、己で己をコントロールできない姿が冒頭に描かれます。 歩き回ってやっとついた ここはどうだ楽園か?今となっちゃもうわからないたどり着いたのは、ラーメン屋でしょうか。息が上がるほどに歩き回り、探してはみたけれど、たどり着いた「楽園」は、一歩足を踏み出せば固いアスファルトにたたきつけられるような、その場所でこれから自分がどうなってしまうのか分からない恐れ、そしてアイムアルーザー どうせだったら遠吠えだっていいだろうけれど、負け犬にも、大切なことがあるのです。己を負け犬と称しながら、欲や夢や希望、最悪命までもを踏み潰すかもしれないという恐れのために、自分にしか出せない声を自分で封じ込めたのです。 ああだのこうだの知ったもんか 幸先の空は悪天候知ったもんかと言いながらも、そこへの強い執着。イアンもカートも昔の人だとここで語られます。二人とも、人気絶頂期に自害し、この世を去ってしまいました。二人とも、持病であるてんかんや双極性障害という病気に加え、人気ゆえの過密なスケジュールに疲れ果て、精神のバランスを失い、薬に依存し、自分で自分をコントロール出来なくなってしまい最期は誰にもみとられず自分で自分を殺してしまいます。踊る阿呆に見る阿呆 我らそれを端から笑う阿呆野望や欲望、強い自己顕示欲。愛されたいなら言葉にしなくては伝わらない、しかし、持っている大きな自意識の割には自己肯定感を失っている。ただ遠くへ行きたい、それだけ…もしかしたら、自分はこのままイアンやカートのように、最期を自分自身の手で選んでしまうのではないか。 耳をすませ遠くまで今 響きだした音を逃がすな 呼吸を整えて失った自分のコントロールを自分にしか聞こえない音で取り戻します。アイオライトは日光に当てると、色が3つに変わるという伝説があり、安定・不安を取り除く作用があるとも言われていました。アイムアルーザー なんもないならどうなったっていいだろうここで出てくる私たちの愛が火葬場の灰になっても、火をつけてほしい。『Light my fire』歌詞一部引用(訳ゆりはるな)と歌われる『Light my fire』。恋愛の歌とも取れますが、『LOSER』の歌詞にあるような、このThe Doors の『Light my fire』、『LOSER』とともに聴いてみると、そのメッセージに不思議な結びつきを感じられます。愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね先ほど述べた『Light my fire』のように、夜が明けるまでというフレーズが表れます。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊りゃな損損、そんな言葉もあります。「踊る阿呆」を選ぶのです。それは、とても大変で難しいことです。「愛」や「本音」を語っても伝わらないかもしれません。 米津玄師『LOSER』、「ジョイ・デヴィジョン」のイアン・カーティスや「ニルヴァーナ」のカート・コバーンの人生を絡め、アイオライトという石になぞらえた生と死、恐怖と勇気などの相反するものを描いています。この楽曲をきっかけにイアンやカート、ドアーズなど、新旧問わず洋楽に触れてみることもすごく素敵なことだと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。Loserが一番好きにれいさん簡潔なコメント有難うございます。フォロワーSugar&Salt Music一同心から感謝申し上げます。作者の意図や訴えを知ること、考えることでその音色は何通りにも変化します。Twitterでのシェアや議論大歓迎です。お仕事の依頼はDMかメールをお願いします!©Copyright2020