歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。詩書きとコーヒーのアンサーソングであり、今回もかなり感慨深い内容になっています。是非、最後までご覧ください。今回紹介していく2019年8月28日発売のアルバム「エルマ」収録曲。このアルバムは前作「だから僕は音楽を辞めた」の主人公の青年(エイミー)から送られてきた手紙に影響を受けた女性、つまり、アルバム「エルマ」収録曲の1つである「雨とカプチーノ」は、 上に掲載しているMVは、となっているそうです。この まず、MVを見て頂くと分かるようにそんな場面が所々に散りばめられています。ここがきっと「エルマの夢」ひいては希望だったり切実な願望を映しているのでしょう。 そして、今までの楽曲を追っていたファンは既に「あっ!」と勘付いていると思いますが(ピンと来ない方は別記事 つまり、ここまでを総じていうと、といった内容であることが推測される。また、この願望はタイトルとも密接してきます。私は「「心に穴が空いた」といい今作といい、エルマの想いが鮮明に伝わってきて、感動しちゃいます。 では、楽曲考察に移っていきましょう。結論から申し上げますとというメッセージを持つと解釈致しました。複数パターン考察しましたが、私自身の中ではこの仮説が最も腑に落ちました。この解釈に至る為には「雨」と「カプチーノ」をそれぞれ紐解いていく必要があります。 まずヨルシカの世界観における「雨」は、別タイトル「六月は雨上がりの街を書く」という楽曲で想い出の中でしか見えない 六月の雨上がりの中で割り切れないものを知ってたんだろとあるようにという意味を持つことが判明しています。つまり、といった解釈でokです。 続いてこれは本来、イタリアで好まれているコーヒーの飲み方の1つで、陶器のコーヒーカップに注いだエスプレッソに、クリーム状に泡立てた牛乳を加えたものを表す言葉。後述していく本楽曲の歌詞では灰色に白んだ心はと、黒でも白でもない曖昧な感情(グレー)を表すように使われており、タイトルでもその中途半端な色合いと心情を重ねるべく起用されているのかも知れませんが、ここで1つ推したいそれは、という意味があるという説です。これは、エスプレッソに浮かんだミルクの泡を蓋に見立てたことに起因しているそうです。ここは見落としてはいけないポイントだと思っています。 それぞれ上のように解釈した「雨」「カプチーノ」を統合するとという切ない意味合いをタイトルに持たせることが可能となり、エルマにとっての涙の原因は「眩しすぎるエイミーとの過去」でありますからというメッセージを持つように解釈ができるのです。MVの情景とも重なりますね。では、本題の歌詞に迫っていきましょう。灰色に白んだ言葉は灰色に白んだ心はさぁ揺蕩うように雨流れ波待つ海岸 紅夕差す日夏泳いだ花の白さ、宵の雨ずっとおかしいんださぁ揺蕩うように雨流れまた一つ夏が終わって、花一つを胸に抱いて、作詞作曲: n-buna灰色に白んだ言葉は灰色に白んだ心は作詞作曲: n-buna繰り返されるという部分がここのポイントですね。タイトル解釈でも述べたように、これはエルマ側の曖昧(グレー)な心情を表しています。ここに関しては、グッとくるような考察がMVのコメント欄にありましたので、是非とも共有させていただきます。MVに寄り添った考察が素晴らしすぎますね。私自身、このカプチーノの灰色は、伝えることができなくなった 呷るとは、酒や毒を一気に飲むこと。つまり「カプチーノ」を呷ろうという言動には、といった意味合いが隠されています。あくまでもポジティブに。さぁ揺蕩うように雨流れ作詞作曲: n-bunaタイトル解説で述べたように「雨」という言葉は、過去を想起させる。つまりとは、虚ろに想い出される情景。という文とも重なりますがエイミーとの思い出には戻れないと受容した今でも、素敵な思い出は頭の中で駆け巡っているのです。と蓋(カプチーノ)をしながら。波待つ海岸 紅夕差す日作詞作曲: n-bunaここではスウェーデンで暮らしていたときの具体的情景が歌詞として綴られています。他楽曲の考察また、アルバム「エルマ」の収録曲である「心に穴が空いた」のMVも舞台はスウェーデン・ゴットランド島でした。夏泳いだ花の白さ、宵の雨作詞作曲: n-bunaここはというエルマの本音が描かれています。他楽曲という歌詞がありましたが、それと似たような内容であると思っています。 本歌詞の、という意味合いが強いです。そして、を対比しています。 もしかすると、カプチーノ(灰色)は、という意味も包括しているのかも知れません。そうすると「雨とカプチーノ」はという意味を持つようにも考えることができますね。さすがヨルシカ楽曲は解釈の幅が広いです。曖昧で消えそうだからこそ、かけがえのないものだと認識して、大切にしようと思考が働いているのかも知れません。ずっとおかしいんだ作詞作曲: n-bunaエルマは、エイミーがいなくなってから「おかしくなった」といっても良いくらい人生の路頭に迷っています。どこか陰が垣間見える歌詞により、が、改めて強く伝わります。また補足ですが、本楽曲「雨とカプチーノ」は、エイミー目線で綴られる別楽曲「詩書きとコーヒー」のアンサーソングです。詩書きとコーヒーでわかんないよ わかんないよとエイミーが連呼していましたが本楽曲ではエルマが呟いています。同じ気持ちを抱えているのに噛み合わない二人に、より切なさを感じますね。さぁ揺蕩うように雨流れまた一つ夏が終わって、花一つを胸に抱いて、作詞作曲: n-buna全体を通してというポジティブなメッセージが伝わりつつも最終的に強く残った印象はなどの文からは、過去に縋りついている様子が特に鮮明に伝わってきました。「詩書きとコーヒー」は、コーヒーが冷えていくさまを、愛情や音楽に対する意欲が薄れていくさまに重ね合わせて構成された楽曲でしたが、アンサーソングである「雨とカプチーノ」は君がいないことにより、想い出や感情が希薄していくこと。それを恐れているさまが描かれていた楽曲のように感じました。今回紹介した「雨とカプチーノ」を含め、ヨルシカの楽曲を複数考察した結果、確かに言えることはということです。これを知っておくことで、物語の情景や登場人物の心情により共感することができ、更に楽曲に寄り添うことができるのではないでしょうか?MVと歌詞の意味の解釈でした!(‘ω’)脳MUSIC 脳LIFEの管理人。「楽曲考察」という側面から音楽の楽しみ方を共有したくサイトを設立。日課は最新の音楽ニュースを追いかけること。脳MUSIC 脳LIFEの管理人。「楽曲考察」という側面から音楽の楽しみ方を共有したくサイトを設立。日課は最新の音楽ニュースを追いかけること。 灰色に白んだ言葉は灰色に白んだ心はさぁ揺蕩うように雨流れ波待つ海岸 紅夕差す日夏泳いだ花の白さ、宵の雨ずっとおかしいんださぁ揺蕩うように雨流れまた一つ夏が終わって、『雨とカプチーノ』とは2019年8月1日にネット上で公開された楽曲です。MVと歌詞を併合していきながら解釈を進めていきたいと思います。 目次 「雨」は数多くの歌のタイトルに用いられてきましたがこれらを歌詞ごとに織り交ぜながら説明していきます。灰色に白んだ言葉は灰色に白んだ心は今作はエルマという女性が描いた夢を題材としています。「自分の意志で混ざりたくないだけ」そんな言い訳がMVでは「白」そして「黒」の色が目立って使用されて さぁ揺蕩うように雨流れ波待つ海岸 紅夕差す日ここでは「揺蕩(たゆた)う」「溺れる」自分の中に相手の音楽と生き方を取り入れたいと願「八月のヴィスビー」とは何でしょうか。 しかしここでも「待ちぼうけ」という言葉が使われているので、やはり彼女のずっとおかしいんだMVではエルマがピアノを弾き側でエイミーが見ているという加えてMVの終盤にはピアノの鍵盤がわざわざ強調されていました。どれだけ二人が共存し合っても相手になることはできません。ここから二人がとことん異質のアーティストであり独立しているのエルマは夢と現実の大きな差異に憂えたことでしょう。 いかがだったでしょうか。感化を受け一体になりたいものの分かり合えない不条理さが今後、雨の日にカプチーノを飲むたびにこの曲が流れそうでヨルシカの今後の活動と次回作に期待し注目していきたいと素敵な作品を有難うございました。フォロワーSugar&Salt Music一同心から感謝申し上げます。作者の意図や訴えを知ること、考えることでその音色は何通りにも変化します。Twitterでのシェアや議論大歓迎です。お仕事の依頼はDMかメールをお願いします!©Copyright2020 考察および解説していきたいと思います。 詩書きとコーヒーのアンサーソングであり、 エルマ目線で綴られる本楽曲。 今回もかなり感慨深い内容になっています。