この広告は、90日以上更新していないブログに表示しています。 という訳で記念すべき1回目は「 定義としては以上のようなもの。制作手法や作劇論としての「定義だけ読んで、こう解釈しましたがこれではまだ不十分のような気も。そんなこんなで探し物を続けていると 社会的役割や物語の配置によって「同じ人物」であっても全く違う行動を取りうること、それはそのケース毎に「演技」していることに他ならない。そしてその行動が更なる他者への影響を及ぼし、相互作用効果を生み出すことによって「ドラマ」が生まれる。それが「裏返せばその舞台や状況に相応しい「ある行動」をする役者を、その為に配置することが既に「それでは以下の引用をもって今回の調べ物は終わることにします。 必然性というのは、自立した概念なんだ。それはロジックやモラルや意味性とはべつの成り立ちをし たものだ。あくまで役割としての機能が集約されたものだ。役割として必然でないものは、そこに存在するべきではない。役割として必然なものは、そこに存在 するべきだ。それが(『全世界は劇場だ。すべての男女は演技者である。人々は出番と退場のときをもっている。一人の人間は、一生のうちに多くの役割を演じる。(『お気に召すまま』シェークスピア) ドラマツルギーとは. ドラマツルギーとは、もととは「作劇論」と訳される演劇に関する理論ですが、コミュニケーションを分析した社会学用語としても知られています。アメリカの社会学者ゴッフマンが提唱したドラマツルギーの考え方を具体例を交えてわかりやすく解説します。 ドラマツルギーの世界 で. 社会学のゴフマンのセオリーの中に、ドラマツルギー(ドラマトゥルギー)というものがある。私がこの考えを知った時、なんとも人間は苦労する生き物だと思わざるを得なかった。そしてやはり、その中に「虚構」をも感じるのだ。このドラマツルギーには、相互行為というものが非常に深く関わってくる。役割を遂行する、そして役割を遂行する演技をする例を挙げるのなら、(というか現代の行動のほぼすべてに当てはまるのだが)友人に勉強を教えるときのことを考えてみよう。私の場合。「友人に勉強を教える」という状況においては、私は友人に勉強を教えるという先生的な役割を遂行する一方で、もしかしたら「勉強を教える」という役割を演じている、ということだ。後者の「演じる」ということは、とどのつまり演技のことであり友人に対しては、「勉強を教えるという状況」にある時最近は流行りの廃りが異常に速いですから、どうなっているかは分かりませんが、「タピオカ」は一世を風靡した。と思いますたくさんの若い子たちが、「タピオカ」「タピオカミルクティー」を求め、店に訪れたのではないでしょうか。そしてそこでは往々にして、「タピオカミルクティー」を飲むという状況が発生します。タピオカミルクティーを売っている店に訪れた人々は、そこでタピオカミルクティーを飲む・・・だけではありませんね。タピオカミルクティー(以下タピオカ)を飲む客という役割を遂行するとともに、タピオカを飲むという役割を演じているのです。さらに言うのならば、結構の数の人がその状況で写真を撮って、SNSにあげたりしていますよね。ということは、彼らはタピオカを飲む自分、もしくはタピオカを写真に収め、投稿するという役割を担い、そしてその役割を演技する。これはタピオカに限った話ではないかもしれませんが、とりあえずタピオカで話を続けましょう。新品の、それも一滴も飲まれていないタピオカが捨てられている状況を見てどんなことが思いつくでしょう?私は、そのタピオカを捨てた人が、演技に徹しすぎて、役割を担うことをおろそかにしてしまっているんだなと今までの記述から考えます。そういえば先ほど、と書きました。なんだかこの状況に似ているような気がしますね。ドラマツルギーは今まで書いてきた相互行為の「Eveさんの「ドラマツルギー」も、これを知った後で聞くと、歌詞の意味が理解できるような気がします。でも不思議です。なぜ私たちは、このような役割を担ったり、役割を演じなければいけないのでしょうか?この「演技」が私たちの日常のほとんで行われているとしたら、「自分」「自己」というものは一体どこに存在しているのか?そもそも「自分」や「自己」はどのように決めるべきなのか?う~ん。簡単に答えは出そうにないですね。まぁそう簡単に見つかっても、面白くないんですがね・・・。と今日も大学生は迷っている。さて、ここまで書いてきたのですけれど雨に降られて、慌てているような光景が伺えますが、何となくこの絵も、雨に突然降られて焦っている、という演技をし、ある種の役割に徹しているように見えませんか?あなたの日常が少しでも知的になるように。 より 対するに、鍵ゲーは、KanonもAIRも、まあ尺の違いもあるんですが、相応のドラマツルギーを持っています。なによりキャラクターとストーリーは密接に関連していて、かなり計算高く作られています。 tortinitafineさんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか? ドラマツルギーは今まで書いてきた相互行為の「演技」に焦点を当てた考えかたです。 Eveさんの「ドラマツルギー」も、これを知った後で聞くと、歌詞の意味が理解できるような気がします。 でも不思議 … まずゴッフマンが提唱したドラマツルギーについて見てみましょう。 この観察法は1959年の自著である『日常生活における自己呈示』 ("The Presentation of Self in Everyday Life") の中で関連した専門用語とアイデアの大部分を発展させたものである。 ドラマツルギーがイラスト付きでわかる! ドラマツルギーとは社会学の用語。または演劇論。創作においては「傷物語」に登場するキャラクターもしくEveの楽曲をさす。 ドラマツルギー(dramaturgy)とは -社会学の用語。アーヴィング・ゴッフマンにより提唱された社会学的観察法の一つ。 役を演じているのは. ドラマツルギー の考えから. 何者にもなれない自分に葛藤する. いずれ、きっとやってくる 「ドラマチックな展開」 を期待しているからなのです。 感想. Powered by 引用をストックしました引用するにはまずログインしてください引用をストックできませんでした。再度お試しください限定公開記事のため引用できません。 今回は初音ミクを使った人気ボカロソング「ドラマツルギー」の魅力に迫ってみます! おしゃれな世界観と哲学的な歌詞、mvについて。作者にも焦点を当てて、語っていきますよ! | 自分が生きる意味は?とにかく深いボカロ曲「ドラマツルギー」を解説 秒速5センチメートルを見たので悲鳴あげる(ネタバレ)/G.A.W. 役を演じているヒトを客観的にみて.