「のんびり」と「ゆる~く」更新するのがモットーです。 1985年. 年代別ランキング. 1975年. 1971年. 1980年代はアイドル歌謡全盛期。1980年の松田聖子がデビューに始まり、中森明菜ら「花の82年組」の活躍で「ザ・ベストテン」「夜のヒットスタジオ」など歌番組が数多く生まれた。 1982年. 1979年. 1986年オリコン シングルCDランキング 1位~50位を歌詞やyoutubeの動画で紹介。1位『CHA-CHA-CHA』石井明美、2位『DESIRE -情熱-』中森明菜、3位『仮面舞踏会』少年隊、4位『BAN BAN BAN』KUWATA BAND、5位『My Revolution』渡辺美里… 「音楽」「ドラマ」「映画」「読書」「旅行」「神社巡り」「開運」「温泉」「グルメ」などなど、わりと多彩な趣味を持っています。 1968年. 1976年. 芸能人ニュースまとめサイト。ジャニーズ・俳優・女優・声優・ミュージシャン・韓流や最新ドラマ情報など、芸能人・有名人の名前別にニュースメディアで配信された最新情報を集めてお届けします。芸能人のユニーク人気投票や恋愛アンケートなども。※RSSを活用して、記事タイトルとリンク先を取得してお届けしています。※サムネイル画像は主にamazonアソシエイトを使わせて頂いてます。Copyright © 2018-芸能人の最新ニュースお届け!|芸能GO!GO! 1984年. 1980年. 1970年. 1986年(昭和61年)は、音楽業界・芸能界だけでなく世間一般的な傾向として、一気にお金を使った豪華なものが流行るようになりました。「バブルの時代」の始まりです。この年、CDの生産がLPを上回り、レンタルレコード店でのCDの貸し出しが解禁されたことが、大きな話題でした。オリコンシングルランキングは、この年の全52週中36週で「おニャン子クラブ関係曲」が1位を獲得し、「おニャン子ブーム」が色濃く反映される結果となっています。この年のチャート1位獲得曲の「全46曲」中、「おニャン子関係曲」が30曲もあったとか。また、この年は「歌番組」の再編成が相次ぎました。4月6日に、NHKの歌謡番組「レッツゴーヤング」が12年の歴史に幕をおろして終了し、新番組「ヤングスタジオ101」に引き継がれて1988年(昭和63年)3月まで放送されます。4月7日には、日本テレビ系にて「ザ・トップテン」に続くランキング形式の歌番組「歌のトップテン」が放送開始され、こちらは1990年(平成2年)3月まで続きました。10月24日に、テレビ朝日系の歌謡番組「ミュージックステーション」が放送を開始し、30年以上も続く長寿番組となっています。この記事では、1986年に大人気だった「ヒット曲」をなつかしく思う方のために、「年間ヒット曲」「その年の注目曲」を中心に、その年の出来事や「日本や世界の音楽事情」、放映が始まった「テレビ番組」や公開された「映画」などについてお話ししてみたいとおもいます。この記事を読むことで、昔なつかしい「1986年という時代」を振り返ってみることができ、その当時のノスタルジックな記憶をつい昨日のことのように呼び起こすことができるようになるかもしれません。続きを見る続きを見る音楽シーンだけの話をすれば、前年からの流れを引き継いでもっと拡大したように、空前の「バンド・ブーム」が起こります。1980年代後半から1990年代前半にかけての「第2次バンド・ブーム」が、幕を開けました。ちなみに「第1次バンド・ブーム」は1970年代後半から1980年代前半にかけての「バンドブーム」で、「サザンオールスターズ」「世良公則&ツイスト」「甲斐バンド」「RCサクセション」などがチャートを席巻した時代。「フォークソング」「ニューミュージック」に続いて「ロック」が台頭する時代の幕開けとなったものです。「第2次バンド・ブーム」は、「アイドルやヒットチャート番組の全盛期」が少し落ち着きを見せ、それと入れ替わるように盛り上がりを見せたロックバンドの一大ブームでした。この年「BOØWY」「レベッカ」は大ブレイクでしたし、■■「HOUND DOG」「BARBEE BOYS」「TUBE」「TM NETWORK」■■■■「SHOW-YA」「米米CLUB」「聖飢魔Ⅱ」「プリンセス プリンセス」などもぞくぞくと彼らの後に続いて頭角を現し、「ブーム」とは言えないほどの盛り上がりを見せたと言えます。■■■■続きを見るまた、もう一つの大ブームは「ディスコ・ブーム」です。こちらも正しくは「第2次ディスコ・ブーム」と言い、別名「ハイエナジー・ブーム」「ユーロビート・ブーム」とも呼ばれます。ちなみに、よく混同されて使われる「ハイエナジー(Hi-NRG)」と「ユーロビート」とは、「ディスコ・ミュージック」から派生した、電子楽器によるダンスミュージック・ジャンルであるというのは同じですが、厳密にいうと違っているようです。「ハイエナジー(Hi-NRG)」は、「電子楽器」によるダンスミュージックの中では最初に登場したジャンルであり、1980年代前半にディスコやクラブで人気の高かったダンスミュージックでした。「ハイエナジー(Hi-NRG)」は、それまでの「ディスコ音楽」と、多様化・高性能化する「電子楽器」の融合により誕生したジャンルであるという言い方ができるかもしれません。「ハイエナジー(Hi-NRG)」という名称は、「イブリン・トーマス」の1984年のディスコ・ヒット・ナンバー「ハイエナジー」に由来すると言われています。■一方、「ユーロビート」は「ハイエナジー(Hi-NRG)」をルーツとして進化したとも言われており、より「ポップ」さと「スピード感」を増した「ディスコ・ミュージック」の1ジャンルです。「ハイエナジー(Hi-NRG)」だけでなく、同時期にイタリアで生まれヨーロッパ大陸を中心として流行した「イタロ・ディスコ」にも端を発しており、主に「シンセサイザー」等の電子楽器を多用した、4/4拍子で、テンポの速い楽曲であるとされています。日本では、1980年代後半に「ハイエナジー(Hi-NRG)」「ユーロビート」「イタロ・ディスコ」などといった当時のヨーロッパのダンス・ミュージックが、まとめて「ユーロビート」の名称で日本に持ち込まれてそのまま受け入れられたため、区別されず同じ意味でつかわれるようになったそうです。1990年代後半に世界的なブームが去ったあとも日本では人気が衰えず、「ユーロビート」というジャンルは日本のみで独自の発展を遂げていくことになります。■■■■■■「ディスコ・ブーム」については、この時代を象徴する大切なキーワードですが、少し長くなるので、また別の機会にでもお話しすることにしましょう。続きを見るちなみに「松田聖子」は、前年に「神田正輝」と結婚し、結婚と同時に音楽活動の休止を発表したため、この年は活動休止中で、シングルの発表はありませんでした。一方、「中森明菜」はこの年にリリースしたシングル4枚全てで、オリコンチャート「1位」となっています。まさに、「脂がのっている」とはこういうことを言うのかという、良い見本だと言えるかもしれません。■■■■それでは、この時代にはどんな曲がチャートをにぎわしていたのか、さっそく見てみることにしましょう。(リンク先はすべてYouTubeとなっています)100位までのランキングに収まらなかったヒット曲・注目曲は「ピックアップ」として記事の終わりに掲載にしてありますので、そちらも是非どうぞ。続きを見る さて、1986年(昭和61年)はどんなことがあったか、おさらいしておきましょうか。まず、話題にしておかなくてはならないのは「バブル時代」の到来です。■「バブル景気」は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間に、日本で起こった「資産価格の急激な上昇」と「好景気」、そしてそれに付随して起こった「社会現象全般」を指して言います。それに先立つ、1985年9月の「先進5か国(G5)蔵相・中央銀行総裁会議」発表の「プラザ合意」により、為替レート安定化のためにとられた「円高ドル安に誘導する」内容の政策が、「インフレ率の長期低迷」と「公定歩合の引き下げ長期化予想」をまねき、不動産や株式などへの「投機」を促したため、それを背景にした「空前の好景気=バブル景気」が始まります。■「バブル時代」のさまざまな逸話については、また別の機会に話題にしますね。さて事件事故では、「スペースシャトル『チャレンジャー』打ち上げ直後に大爆発」「チェルノブイリ原子力発電所事故」「フィリピンのマルコス大統領が国外脱出しアキノ大統領が就任」「三井物産の若王子マニラ支店長誘拐事件」「伊豆大島三原山大噴火」など。■■■政治関連では、「新自由クラブ解党」「昭和天皇在位60年記念式典」「東京サミット開催」「男女雇用機会均等法施行」「社会党委員長に初の女性党首『土井たか子』選出」など。■■時事的な話題としては「英皇太子夫妻来日による『ダイアナ・フィーバー』」「上野動物園のパンダ『ホアンホアン』に赤ちゃん『トントン』誕生」「富士写真フイルム(現:富士フイルム)が使い捨てカメラ『写ルンです』発売」「マイク・タイソンが最年少のヘビー級王座獲得」「ビートたけしとたけし軍団が講談社フライデー編集部に殴り込み」などがありました。■■■■■驚いたのが、アイドル歌手の「岡田有希子」が飛び降り自殺し、その後、彼女のファンの後追い自殺が相次いだことで、ワイドショーでも連日報道されていましたね。最後にこの年の「ブーム」についてですが、「バブル時代」に入り「経済的余裕」が出てきたことから、「ブーム」の数もこの年以前より多くなってきていた気がします。既に述べた「バンドブーム」「ディスコブーム」に始まり、■■「おニャン子ブーム」「猫ブーム」「ビックリマンチョコブーム」「マネー(財テク)ブーム」「ドラクエブーム」「ファミコンブーム」といった、様々な分野にわたり「ブーム」が起きています。■■■■バブルの恩恵を全く受けなかった私も、いくつかは身に覚えがあり、なつかしい思い出がたくさんあります。私は「ドラゴンクエスト」が大好きだったのですが、ファミコンを持っていなかったので、ファミコンを持っている友達の家に毎日のように通って「ドラクエ」をやっていました。ほとんど自分の部屋のように住みついていたので、さすがに友達もちょっと嫌な顔をしていたような、していなかったような・・・。みなさんも熱中しちゃうと、人の迷惑も気にしなくなりますよねぇ?テレビドラマでは「大河ドラマ いのち」「連続テレビ小説 はね駒」「連続テレビ小説 都の風」「白虎隊」「武蔵坊弁慶」■■■■■「男女7人夏物語」「あぶない刑事」「セーラー服通り」「花嫁衣裳は誰が着る」「このこ誰の子?」「匂いガラス(NHK)」「シャツの店(NHK)」「まんが道(NHK)」などが、よく知られている作品でしょうか。■■■■■■■■海外のドラマでは、「特捜刑事マイアミ・バイス」「俺がハマーだ!」「ダイナスティ 愛と野望の館」「ヒッチコック劇場86」などが放映されていました。海外ドラマの中では、「特捜刑事マイアミ・バイス」が大流行していた記憶があります。■■■■1986年(昭和61年)は、特に「男女7人夏物語」が流行ったことを、覚えている方も多いのではないでしょうか。「明石家さんま」と「大竹しのぶ」を、「結婚」(1992年離婚)に至らせたドラマとしても有名ですね。「明石家さんま」と「大竹しのぶ」の掛け合いの面白さが話題となり大ヒットし、「最高視聴率」は「31.7%」、「平均視聴率」でも「24.2%」をたたき出し、翌年には続編となる「男女7人秋物語」も制作されました。バブル時代を象徴するドラマジャンルである、「トレンディドラマ」の「元祖」であるとも言われています。■みんな見てたから、主題歌となった「CHA-CHA-CHA/石井明美」や、「デジャ・ヴ」「ナイト・バーズ」などの「シャカタク」の名曲を聴くと、このドラマの名シーンを思い出すという人も結構たくさん居そうな感じですね。■■■■バラエテイ番組や教養番組では「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」「世界ふしぎ発見!」「風雲!たけし城」「大黄河(NHK)」「トライ&トライ(NHK)」などなど。■■■■■アニメや子供向け番組の分野では、「DRAGON BALL」「機動戦士ガンダムZZ」「聖闘士星矢」「めぞん一刻」「時空戦士スピルバン」「超新星フラッシュマン」といった作品が放映開始になり、人気を博しています。■■■■■■■映画でも、有名作がたくさんありました。邦画では「火宅の人」「彼のオートバイ、彼女の島」「男はつらいよ 幸福の青い鳥」「キネマの天地」「子猫物語」■■■■■「ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌」「紳士同盟」「ボクの女に手を出すな」「極道の妻たち」あたりが有名な作品でしょうか。■■■■劇場用アニメでは「北斗の拳」「天空の城ラピュタ」「火の鳥 鳳凰編」「ドラえもん のび太と鉄人兵団」「うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエバー」「東映まんがまつり」といったところが、名が知られているこの年の作品でしょう。■■■■■■洋画はかなり豊作で、「トップ・ガン」「プリティ・イン・ピンク」「ビギナーズ」「スタンド・バイ・ミー」「ストレンジャー・ザン・パラダイス」■■■■■「プラトーン」「ハスラー2」「ロッキー4」「エイリアン2」「ダウン・バイ・ロー」■■■■■「きのうの夜は・・・」「ナインハーフ」「ホワイトナイツ 白夜」「ファンダンゴ」「愛と哀しみの果て」「セント・エルモス・ファイアー」「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」などの公開が話題でした。■■■■■■■香港映画も大人気で、「霊幻道士」「霊幻道士2 キョンシーの息子たち!」「サンダーアーム 龍兄虎弟」「ジャッキー・チェンの醒拳」など、覚えていますでしょうか。■■■■トム・クルーズが主演した「トップ・ガン」は、特に爆発的な人気で、トム・クルーズが着ていた「MA-1ジャケット」が大流行しましたね。じつは私も着てました。■■1112131415161718191■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  メイ 「1985年」って、どういう曲がヒットしていたんだろ? 「昭和60年」は、「BOØWY」や「レベッカ」が脚光を浴びたころじゃないかな たま とろじゃあ、「1985年」の「年間ヒット曲」を中心に、「注目曲」を振り返ってみようよ  1985年(昭和60年)は、「BOØWY」と「レベッカ」「尾崎豊」などの、日本の音楽界にとって不世出のアーティストたちが脚光を浴び、芽を出し始めました。 1月には「LOUDNESS」がアメリカ進出を果たし、この年の「第27回日本レコード大賞 優秀アルバム賞」を受賞しています。 ...もなか 「1984年」って、どんな曲がヒットしていたんだろう? 「昭和59年」は、「松田聖子」と「中森明菜」の全盛時代のころだね ミミ ココ じゃあ、「1984年」の「年間ヒット曲」を中心に、「注目曲」を振り返ってみようか  1984年(昭和59年)は、「松田聖子」「中森明菜」「小泉今日子」「田原俊彦」「近藤真彦」などに続き、「チェッカーズ」という、社会現象ともいえるビッグアイドルが誕生します。 この年、目立った活躍をしたのが「杏里」「中森明菜」「松田聖子」「サザンオールスターズ」「チェッカーズ」「小泉今 ...ぽんず 「1980年」って、どんな曲がヒットしていたのかな? 「昭和55年」は、「山口百恵」引退と「松田聖子」デビューの年だったよ あんみつ もなか じゃあ、「1980年」の「年間ヒット曲」を中心に、「注目曲」を振り返ってみようね  1980年(昭和55年)における最大のトピックは、「山口百恵」の引退と「松田聖子」のデビューだったかもしれません。 それぞれ1970年代と80年代を代表するアイドルの「引退」と「デビュー」が重なり、鮮やかな時代の区切りとなった年でした。 この年の3月7日に、「山口百恵」は「三 ...そら 「1983年」って、どういった曲がヒットしていたんだろうね? 「昭和58年」は、「探偵物語」「時をかける少女」などの「角川映画」が大ヒットしていたよ おはぎ すず じゃあ、「1983年」の「年間ヒット曲」を中心に、「注目曲」を振り返ってみようよ  1983年(昭和58年)は、芸能界・音楽界はいい意味でも悪い意味でも話題が多い年でした。 その1つとして、角川映画を挙げておきましょう。 年間4位に「薬師丸ひろ子」の「探偵物語/すこしだけやさしく」が、年間11位には「原田知世」の「時をかける少女」がランク ...あんず 「1981年」って、どんな曲がヒットしていたんだろう? 「昭和56年」は、「松田聖子」が大ブレイクして「80年代アイドル・ブーム」が加速した年だよ ミイ ゆず じゃあ、「1981年」の「年間ヒット曲」を中心に、「注目曲」を振り返ってみようか  1981年(昭和56年)の芸能界・音楽界は、「ピンク・レディー」と「松田聖子」で象徴できるかもしれません。 まず「松田聖子」ですが、1980年(昭和55年)のデビュー時からの勢いをさらに増して人気とブームを維持し、この年には、男性だけでなく女性にもカリスマと ...すず 「1988年」って、どういった曲が流行していたんだろう? 「昭和63年」は、翌年にかけて「バブルの時代」のピークにあたるころだよね ミント こむぎ じゃあ、「1988年」の「年間ヒット曲」を中心に、「注目曲」を振り返ってみようか  1988年(昭和63年)は、1986年(昭和61年)の年末に始まる「バブル時代」の最盛期にあたります。 時代はまるで沸騰したように「お金があふれて」いましたが、ミュージック・シーンでは重要と思える大きな解散劇が2つほどありました。 1つは「BOØWY」の解散であり、もう1 ...のんびり探偵ミステリーが大好きな「のんびり探偵」です。

オリコン年間ランキング(オリコン ねんかんランキング)は音楽情報サービス業のオリコンから毎年12月に発表される音楽賞である。 概要. | 1973年. 1983年. 1986年(昭和61年)オリコン年間シングルcdヒット曲★ランキング(1位~50位) 21位.『なんてったってアイドル』小泉今日子 22位.『恋のロープをほどかないで』新田恵利 23位.『じゃあね』おニャン子 … 1981年. 1972年.