ALL RIGHTS RESERVED. 大阪府や京都府が「都」や「県」ではなくなぜ府なのか気になる人も多いようです。府と都の違いはどこにあるのでしょうか。平成の時代には、大阪都構想が争点となった大阪府知事・市長選挙がありました。現在、「府」を使っているのは「大阪府」と「京都府」だけですが、戦前までは東京都も「東京府」だったようです。明治維新後には10ヶ所の「府」が設置されています。現在は「都」・「道」・「県」になっている昔の「府」には、江戸府・箱館府・越後府・甲斐府・神奈川府・度会府・奈良府・長崎府があります。江戸府は、大政官布告後(1869年)は「東京府」になって、廃藩置県(1871年)以降に東京市と合併して東京都になっています。箱館府は、大政官布告後(1869年)は「開拓使」になって、廃藩置県(1871年)以降に、函館県→札幌県→北海道庁から現在の北海道になっています。越後府は、大政官布告後(1869年)は「新潟県」になって、廃藩置県(1871年)以降に相川県を編入して現在の新潟県になっています。甲斐府は、大政官布告後(1869年)は「甲府県」になって、廃藩置県(1871年)以降に山梨県に改称して、現在の山梨県になっています。神奈川府は、大政官布告後(1869年)は「神奈川県」になって、廃藩置県(1871年)以降に足柄県の大部分を編入して現在の神奈川県になっています。度会府は、大政官布告後(1869年)は「度会県」になって、廃藩置県(1871年)以降に三重県に編入されて現在の三重県になっています。奈良府は、大政官布告後(1869年)は「奈良県」になって、廃藩置県(1871年)以降に堺県に編入して大阪府から分離して、現在の奈良県になっています。長崎府は、大政官布告後(1869年)は「長崎県」になって、廃藩置県(1871年)以降に三猪県を編入して、佐賀県が分離して現在の長崎県になっています。 次に、大阪府のこと・大阪府はなぜ府・府と都の違いなどを紹介します。 目次  大阪府は、日本の近畿地方に位置しています。府庁所在地及び最大の都市は大阪市になります。令制国の摂津国東部(7郡)および河内国と和泉国のそれぞれ全域で構成されています。近畿地方の経済・交通の中心で、都道府県では東京都・神奈川県に次いで日本第3位の人口規模をもっています。昼間人口及び人口密度は東京都に次いで日本第2位とされています。中世に「小坂(おさか、おざか)」・「大坂(おさか、おざか)」の名称が登場して、明治になって「大阪(おおさか)」と改められました。「大阪」の「坂」は上町台地に由来するといわれています。「浪速・難波・浪花・浪華(なにわ)」の古称は、現在でも大阪市街の別称として用いられています。次に、大阪府はなぜ府・府と都の違いなどを紹介します。   大政奉還後に明治政府が、幕府直轄地のうち奉行が支配した土地や開港した港などを「府」として、代官の支配地を「県」と称したのが現在の「府」や「県」の始まりだとされています。「府」という漢字は軍事・政治の拠点や大都市を意味しているとされています。要地として直接管理する意志を示すため「府」と称したと考えられています。大阪府は、大政官布告後(1869年)も「大阪府」でした。廃藩置県(1871年)以降に、堺県を編入して、奈良県が分離して、現在の大阪府になっています。大阪府と京都府に「府」になっているのは、大阪は経済の中心であったこと、京都は天皇が住まう都市であることから、江戸以来の「三都」を引き継いだと考えられています。明治維新以降も、最重要地だった東京・大阪・京都の3都市は「別格扱い」だったようです。次に、府と都の違いなどを紹介します。  大阪府や京都府はなぜ府だったのかは、大阪は経済の中心で京都は天皇が住まう都市であることから別格扱いしていたと考えられます。府と都の違いは、「都」には特別区があり、「府」には特別区がありません。「都」は「都」の権限が強く、「府」は「府」の権限が強くなります。現在の東京都は、明治維新後は「江戸府」でした。大政官布告後(1869年)に「東京府」になって、廃藩置県(1871年)以降に東京市と合併して東京都になっています。東京都は首都機能があるので「都」になっていて、大阪府は江戸以来の「三都」を引き継いで、京都府と同じく別格扱いの「府」になっていると考えられます。ネジはいろいろな場所で使われています。 ネジは、円筒や円錐の面に沿って螺旋状の溝 ...了解しました・承知しました・かしこまりました、の違いを知っていますか。 同じよう ...「あし」を漢字表記すると「足」・「脚」・「肢」があります。 「足」・「脚」・「肢 ...クロップドパンツとアンクルパンツの違いが分かりません。 ネットショップでパンツを ...表記と標記の違いはビジネス文書ではタブーです。 表記と標記の使い方を間違ったビジ ...Copyright © WordPress Luxeritas Theme is provided by " COPYRIGHT (C) TAIYOREALTY. 意外と知らないちょっと気になる生活トリビア・朝礼ネタメニューサイドバー 前へ 次へ 検索 他は「県」なのになぜ京都と大阪だけは「府」なのですか?経緯が知りたいです。こんにちは。言葉の意味はshuhuaさんが詳しいので、都道府県の変遷の歴史を書きます。明治の初めの廃藩置県の際には、「幕府の直轄地や戦略上重要な場所=府 昨年の大阪都構想問題で、ふと「都」と「府」は何が違うのだろう・・と疑問に思いました。その前に日本に47ある「都道府県」。なぜ「都」と「道」と「府」と「県」と呼び方が違うのでしょうか。府の庁舎は「府庁」で、県の庁舎は「県庁」。近畿地方は2府4県で、関東地方は1都6県などまとめて数えるときに微妙に面倒くさい・・というのが現実です。天気予報などで全国10の「府県」に警報がとか、「20都府県」とか「11道県」とか全て「県」にした方が数え方が効率的だと思います。ちなみにこの数え方は「都道府県」「都道府」「都道県」「都府県」「道府県」「都道」「都府」「都県」「道府」「道県」「府県」「都」「道」「府」「県」と(2の4乗―1)通りもあります。地方自治法上は府と県には全く違いが無く、道、都も若干の違いがある程度で、「市町村を包括する広域の地方公共団体」という意味では同じ扱いです。実は都・道・府・県の呼び名の違いはほぼ歴史的な経緯によるものだということが分かってきました。江戸時代までは大名が治める「藩」が日本を形成する最大の行政区分でした。行政区分と言っても江戸時代の大名は半ば「国王」に近く、上位に幕府があるものの、各藩の法などは独立したものでした。1868年の明治維新後、1871年の廃藩置県に至るまでに順次、政府直轄領が増えていく過程で、「京都府」「江戸府(のち東京府)」「大阪府」「神奈川府」「新潟府」「越後府」「甲斐府」「度会府」「奈良府」「箱館府」「長崎府」が登場し、1869年の太政官布告によって「府」は「京都府」「東京府」「大阪府」のみとすると定められたということです。なお、「東京府」は1943年に東京市と合併して「東京都」(地方公共団体ではなく、国の行政機関であった)に、「北海道」は1947年の地方自治法施工とともに「北海道庁」(国の行政機関)から普通地方公共団体に移行した際に成立しました。 先に挙げました11の「府」。いずれも幕府の直轄領であり、そのまま明治政府が引き継ぎ、奉行が支配した土地や港を「府」と規定し、それ以外の代官が支配した地を「県」としたということです。なるほど、11の「府」は大都市や港、甲斐府=金鉱、渡会府=伊勢神宮など特に重要な地域が指定されています。その後、太政官布告により3府になり、東京府が東京都になり、以降ずっと「京都府」「大阪府」の2府状態が続いています。ただ府・県の法的な根拠となる地方自治法で府と県は同権限の行政機関として位置付けられているので、府が県に変更になっても行政上は特に問題は無いと考えられます。「京都県」「大阪県」・・ちょっと悲しい響きですね。。現在となっては「府」は慣習的に用いられている呼称で、しかも冒頭のように「府県」、といったやや面倒な数え方をしなければいけないという不便さはあり無くなっても不思議でないものです。とはいえ、仮に「府」が無くなるかもしれないという事態になれば、猛烈な反対運動を繰り広げようと考えている、Love京都の辻でした。  なぜ「都」と「道」と「府」と「県」と呼び方が違うのでしょうか。府の庁舎は「府庁」で、県の庁舎は「県庁」。近畿地方は2府4県で、関東地方は1都6県などまとめて数えるときに微妙に面倒くさい・・というのが現実です。