志村けん感動の生前エピソード!後輩に1000万詐欺られるが神対応!バカ殿後継者は千鳥大悟!? スポンサーリンク . “参照 人生が変わる1分間の深イイ話”25日放送の日本テレビ「人生が変わる1分間の深イイ話」に加藤茶さんと加藤綾菜さんが出演していました。志村けんさんとの絆を深めたエピソードや髭ダンスがどうやって生まれたのか等をお話ししていたので、まとめています。 Contents3年前の「志村けんのだいじょうぶだぁ」の特番で、出演前に志村けんさんと加藤茶さん、加藤綾菜さんの3人でコーヒーを飲みに行ったそうです。その時にコントの打ち合わせが凄かったそうで、加藤綾菜さんがこんな↓エピソードを紹介していました。「ここをこうして、こうしようとかじゃなくて、『あそこ志村がでてきたら、じゃあ俺(加藤茶さん)これな。で、いつものアレだから』みたいな感じだけで通じるくらい、すっごい信頼しあっているんですよ。」そのお話しに対して加藤茶さんがこんな↓事を言っていました。「志村と俺の場合は気心が知れてるんで、俺がどんなにボケても必ずつっこんでくるんだね、あの志村ってのは。だから安心してボケれる。」すごく信頼し合っていて、お2人の関係性っていいですよね。だからこそ、もう会えないなんて悲しくてたまらないですよね。志村けんさんと加藤茶さんが絆を深めたきっかけは今から46年前の事で、加藤茶さんがこんな↓エピソードをお話ししていました。「あいつがドリフに入った時に、悩みだして、元々付き人だったから。志村なりに気を使うわけよ。で、一緒に飲みに行って『気を使うのをやめなさい。もうメンバーになったんだから、自分を押し通さないとダメよ』って言って。」そのエピソードを聞いたスタッフの方が、「それで2人の絆が強くなって一緒にやるようになった所もあるんですか。」と聞くと、加藤茶さんは、「そうね。やっぱり色んな話をして。」と答えていました。スタッフの方が志村さんは天才なのか努力家なのかを聞くと、加藤茶さんはこんな↓風に答えていました。「努力家だね。すっごい努力家。志村は自分できちっと考えたものをやらないと気がすまない。俺が必要な時には、『こういうのやってくれない?』って言う。」すっごい努力家なんですね。一視聴者からしたら天才なのかと思いがちですが、加藤茶さんだから分かる事ですよね。志村けんさんと加藤茶さんの定番のネタ、髭ダンスの事もお話ししていました。加藤茶さんは志村けんさんから、「髭つけてさ無言で音楽だけでコントできないかな。それやりたいんだけど。」と相談されて、そこから髭ダンスが生まれたそうです。髭ダンス、私も子供の頃に見ていた記憶がありますが、凄く好きでした。最近、追悼番組などで髭ダンスを見る機会があったのですが、子供も大爆笑で、大人になってから見てもやはり面白いですね。もっともっと見たくなります。 シェアするフォローする

人気の低迷の激しいお笑いの世界ですが、何十年にもわたって、老若男女に愛される志村けんさん。加藤茶さん。そんなに長年、日本中で愛される理由は何なのでしょうか?私は大きな理由のひとつにということがあるのではないかと思います。今の流行りのお笑いって、どちらかというときつい毒舌とか、他人をいじって笑いをとるものが多いですよね。私から見ると、たまに見ていてやりすぎじゃないのかなとか、ちょっと不快になることもあります。子供がお友だちにこんなこと真似したりしたら嫌だな~とか。でも、志村けんさんや加藤茶さんって、主に自分で体をはったり、自分を笑いのネタにして笑いをとるお笑いが多いです。他人をいじるときにもやりすぎで痛々しくなく、愛がある感じがしませんか?一生懸命やっているのが伝わってきますし、好感が持てます。志村けんさんの本名は志村康徳(しむらやすのり)。志村けんという芸名は、小学校の教頭をしていた父親▪憲司(けんじ)さんの名前から貰ったそうです。志村けんさんは高校卒業前にいかりや長介さんのドリフターズに弟子入りを志願して、加藤茶さんの付き人になりました。また、付き人時代には加藤茶さんの家に居候していた時季もあったそうです。『加トちゃんケンちゃん』と、対のように呼ばれる二人ですが、ドリフターズのエースとなる前の駆け出しの頃から息の合う二人だったようです。志村けんよりも若干デビューの早かった加藤茶ですが、ドリフターズを荒井注が脱退し、欠員が出たときには、加藤茶が志村けんをメンバーに加えることを強く勧めたそうです。(志村けんさんは、ドリフターズとして活躍するまでに井山淳さんと【マックボンボン】としてコンビを組んだり、自衛隊出身の福田正夫さんを相方に迎えたりしていましたが、なかなか上手くいかなかったようです。)そんな二人の年齢差ですが、志村けんさんが1950年2月20日生まれ(現在69歳)、加藤茶さんが1943年3月1日生まれ(現在76歳)なので、約7歳差ですね。今は望めばどんな贅沢も出来そうな二人ですが、若い頃からずっと豊かだったわけではありません。特に、加藤茶さんよりも年が若くヒットも遅かった志村けんさんは付き人時代は食べるのにも困るほどの生活だったようです。そして、みんなのラーメンの食べ残しを集めて1つのラーメンにし、さらにそれを同じくラーメンを買えなかった仲間で分けあって食べていたのだそうです。ちょっと聞いただけで吐き気がしそうなのですが、それだけ必死だったのでしょうね。ある時、志村けんさんが残ったラーメンスープに白いご飯を入れておじやにして食べるのを楽しみに待っていたのですが、その時はメンバーがスープを全部飲み干しており、スープが残りませんでした。すると志村けんさんは隣にいた加藤茶さんに、と激怒したそうです。加藤茶さんは今でもその時のことを忘れていないそうです。成功して大金持ちになった二人にとっては、いい思い出なのでしょうね。鹿児島で長男(中学生男子)、長女(小学校高学年)、次男(小学校低学年)を子育て中のアラフォー主婦です。鹿児島で長男(中学生男子)、長女(小学校高学年)、次男(小学校低学年)を子育て中のアラフォー主婦です。 * (@Sebastianus287) 加藤茶さんが、志村けんさんへの弔辞として追悼番組で読まれたお手紙がこちらです。志村、ひどすぎるぞ、おまえ。一番若いおまえが俺たち差し置いて天国に行っちゃうなんてなあ。まだ、俺たちと一緒にやらなきゃならないことがたくさんあっただろ。それを勝手に一人で先に逝っちゃうなんて、おまえはバカだよ。天国の長さんも、まさか、おまえが最初に来るなんて思ってなかっただろうな。ビックリしたと思うよ。長さんの次は高木ブーだと思っていたもんな。でも、久しぶりに二人っきりでいろんな話ができるから、長さんも喜ぶんじゃねえかな。まあ、いずれそう遠くないうちに俺たちもそっちに行くと思うから、それまで長さんと酒でも酌み交わしながら、ドリフの新しいネタでも考えといてくれよ。5人がそっちに全員集合したら、そっちのお客さんを大爆笑させようぜ。約束だぞ。じゃあ、それまでゆっくりと休んでくれ。大好きな志村へ令和2年4月1日、ザ・ドリフターズ・加藤茶加藤茶さんの志村けんさんへの愛情あふれる手紙に、思わず泣けてしまいます。加藤茶さんが公式に出したコメント以外にも、妻の綾菜さんがご本人から聞いた生の声を調査することができました。志村けんさんの追悼番組が終わって、その後一気にガックリきてしまったようです。本人はこんな風に話していました。志村が何十年も重ねてきたものが、たったの2時間で終わってしまうのかと思うと、心が締め付けられる。志村が舞台でコントをやり続けてくれたからこそ、ドリフも皆の心の中で生き続けているというのがある。70歳超えて仙人の域に達したんだろうな。それなのに、こんなに早く志村が亡くなるなんて残念で仕方がない。公式に出すコメントよりも、生身の声に、ずっと長く一緒にやってきた加藤茶さんのショックの大きさが伝わってきます。追悼番組では明るい様子を見せていた加藤茶さんでしたが、心の奥底では現実を受け入れがたい辛さでいっぱいなのですね。一緒に仕事をしている間の細かい行き違いは誰にでもあるにせよ、噂されていた志村けんさんとの不仲説が一蹴されたと考えていいのではないでしょうか。 志村けんさんは笑いを愛してた。でもどうしても笑えないな。— 実況者めとろくん/YouTube (@metro2_4) 加藤茶さんとの不仲説の真相や、現在までのコンビ関係は、加藤茶さんのコメント内容から考えるとかなり深いものだったことがうかがえます。「不仲説」と世間で言われても、本当のことはコンビである本人たちがわかっていればいい、というお気持ちだったのではないでしょうか。芸能界においても、偉大な人物である志村けんさんを失ってしまい、視聴者だけでなく各界から多くの追悼が寄せられています。志村けんさんの突然の悲報にツイッターの反応はすさまじく、同じ気持ちを持っている人がそれだけ大勢いるということに気づかされましたね。本当に小さな子供からお年寄りまでいつも楽しませてくれた志村けんさんに心からお悔やみ申し上げます。 ラリー遠田 2018.4.21 11:30 dot. 明るく審査をした...